「犬山城は誰が作ったんだろう?」と気になったことはありませんか。
この記事では犬山城は誰が作ったのかをはじめ、そこに込められた物語をやさしく解説します。読んだあとには、もっと犬山城を歩いてみたくなるはずです。
- 犬山城は誰が作った?歴史をわかりやすく解説した内容
- 犬山城には誰が住んでた?時代ごとの城主の移り変わり
- 将軍が住んでいた?という疑問への正しい答え
- 織田信長との関係とは?歴史好きが気になるポイント
犬山城は誰が作った?築城の歴史と成り立ちをわかりやすく解説

犬山城は1537年に築かれたとされる日本最古級の木造天守を持つ城で、戦国時代の重要な拠点でした。ここでは築城者や歴史的な背景を整理して解説します。
- 誰が作った?歴史をわかりやすく解説
- 誰が住んでた?
- 将軍が住んでいた?
- 織田信長との関係とは?
誰が作った?歴史をわかりやすく解説
犬山城は、1537年(天文6年)に織田信長の叔父である織田信康(おだ のぶやす)が、もともとあった木之下城を移して新たに築いた城です。
木曽川沿いの小高い丘の上にあり、交通と軍事にとても便利な場所だったため、戦国時代を通して重要な拠点になりました。
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誰が住んでた?
犬山城には、戦国時代から明治時代にかけて本当に多くの城主たちが住んでいました。最初に住んだのは、築城した織田信康とその子・織田信清でした。
しかし信清が織田信長と対立したため城を追われ、その後、信長の家臣である池田恒興が入りました。
その後も城主はめまぐるしく替わります。織田信房、中川定成、加藤光泰、小笠原吉次、平岩親吉らが続き、最終的には元和3年(1617年)からは尾張徳川家の家老だった成瀬正成が城主となり、ここから成瀬家が幕末まで代々城を守りました。
将軍が住んでいた?
犬山城に 将軍(幕府のトップ)そのものが住んだことはありません。
犬山城は戦国時代から江戸時代にかけて、織田・豊臣・徳川の間で城主が入れ替わる重要な拠点でしたが、正式に「将軍」が居城とした記録は残っていません。
ただし、江戸時代には尾張徳川家の譜代家臣である成瀬正成(なるせまさなり)が城主として入り、 二代将軍・徳川秀忠から犬山城を拝領したという事実があります。
その後、成瀬家は9代にわたって城を守り続けましたが、これは「将軍が住んだ」というよりは、将軍から任命され城主となったケースです。
織田信長との関係とは?
犬山城(いぬやまじょう)は、1537年(天文6年)に織田信長の叔父である織田信康(おだ のぶやす)が築きました。
この城は尾張(現在の愛知県西部)と美濃(現在の岐阜県)の境に近く、交通の要になる場所に建てられていたため、信長にとってもとても大切な拠点となりました。
時がたち、信康の子・織田信清(のぶきよ)は当初信長に従っていましたが、1562年(永禄5年)に信長に反発し関係が悪化。それから1564年には信長の軍に攻められて犬山城を奪われてしまいました。
その後、1565年頃には信長の乳兄弟ともいわれる池田恒興(いけだ つねおき)が城主になります。このように、犬山城は信長の時代に政治的・軍事的に深く関わる存在だったのです。
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犬山城は誰が作ったのかを知る上で欠かせない成瀬家の存在
江戸時代以降は成瀬家が犬山城を代々治め、2004年までは「唯一の個人所有の国宝天守」として注目されました。ここでは成瀬家と犬山城の関わりを詳しく見ていきます。
- 成瀬家とは?
- 成瀬家家系図
- 現在の当主は?
- 成瀬家の現在とは?
- よくある質問
成瀬家とは?
成瀬家(なるせけ)は、江戸時代に犬山城の城主をつとめた大切な武家の一家です。もともとは愛知県豊田市あたり(三河国・足助庄)出身で、徳川家康に仕えた経歴を持ちます。
そして、1617年(元和3年)に徳川家康の側近だった成瀬正成(まさなり)が、二代将軍の徳川秀忠から犬山城を拝領して初代城主となりました。
成瀬家はその後も9代にわたって尾張徳川家に仕える城主として犬山城を守り、知行高も3万石から3万5千石へと増えました。
明治維新の頃には犬山藩(明治維新後に認められた藩)を治め、成瀬正肥(まさみつ)は藩知事にもなりました。
成瀬家家系図
成瀬家は、もともと三河(愛知県・豊田市)の足助(あすけ)という地域出身で、、その祖先は徳川家康に仕えていました。
成瀬正成(まさなり)が初代の城主として1617年に犬山城を受け継ぎ、以降、9代にわたって城を守りました。つまり、正成から正虎、正親、正幸…と続き、九代目は成瀬正肥(まさみつ)です。
以下に、主な9代の流れを簡単に整理します。
- 成瀬正成(初代)- 1617年に犬山城主に
- 成瀬正虎(2代)
- 成瀬正親(3代)
- 成瀬正幸(4代)
- 成瀬正泰(5代)
- 成瀬正典(6代)
- 成瀬正寿(7代)
- 成瀬正住(8代)
- 成瀬正肥(9代)- 幕末には犬山藩主となり、明治時代へつなぎます。
現在の当主は?

現在の犬山城の当主は、成瀬家第13代当主であり、公益財団法人「犬山城白帝文庫」の理事長である成瀬淳子(なるせ じゅんこ)さんです。
彼女は父である第12代当主・成瀬正俊さんから城と所蔵品の保存を引き継ぎ、2004年に白帝文庫を設立し、現在も文化財の調査・研究・保存に尽力しています。
成瀬淳子さんのリーダーシップのもと、犬山城は「生きている城」として来訪者に親しまれ、財団を通じて持続可能な方法で城の保存活動が続けられています。
▼現在の城主について詳しくは以下の記事をご覧ください!
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成瀬家の現在とは?
成瀬家の現在は、犬山城の保存と文化継承を担う公益財団法人「犬山城白帝文庫」が中心です。
この財団は、犬山城と成瀬家に伝わる美術品や資料を調査・保存・公開するため、2004年(平成16年)に設立され、2013年には公益財団法人に認定されました。理事長は成瀬家13代当主である成瀬淳子さんが務めています。
財団は、城内にある「城とまちミュージアム」歴史文化館で展示や特別展を行い、さらに古文書講座、講演会、研究発表など幅広い活動を通じて、地域や来訪者に歴史を届ける役割を果たしています。
よくある質問
- 犬山城はいつ開いていますか?休みはありますか?
-
犬山城は毎日「午前9時〜午後5時」まで開いていて、最終入場は午後4時30分です。ただし、12月29日〜31日はお休みです。
- 天守にはトイレがありますか?
-
いいえ、天守の中にはトイレや休憩スペースはありません。入場門を入ってすぐの場所にトイレがありますので、そちらをご利用ください。
- 駐車場はありますか?
-
はい。犬山城のそばには市営の有料駐車場(犬山城第1駐車場など)や民間のコインパーキングがあります。車だけでなく観光バスや二輪も駐車できます。
まとめ 犬山城は誰が作った
ここまでの内容を簡単にまとめると、犬山城の歴史はただの観光地の背景ではなく、人の営みや時代の流れが詰まった物語そのものだと感じます。
最初に築いた織田信康から、信長との関係、そして成瀬家の長い支配へと続く流れは、歩いて見るだけでは気づけない深さがありました。
実際に訪れたときも、木曽川を望む天守から戦国時代を思い描き、「ここに誰が住んでいたのだろう」と自然と想像してしまったものです。そう考えると、城を知ることは過去の人々の生活を追体験することでもあるんですね。
ポイントを絞ると以下の通りです。
- 犬山城は1537年に織田信長の叔父・織田信康が築いた
- 信康の子・信清は信長と対立し、城主は入れ替わりが続いた
- 江戸時代からは成瀬家が9代にわたり城を守り続けた
- 将軍が住んだ記録はなく、徳川秀忠から成瀬正成に任された
- 2004年まで日本唯一の「個人所有の国宝天守」として知られた
改めて振り返ると、「犬山城は誰が作った」という素朴な疑問から、これほど多くの歴史に触れられるのは面白い体験でした。知識として知るだけでなく、実際に城下町を歩きながら自分の目で確かめると、より深い発見があるはずです。
歴史好きはもちろん、初めて訪れる人にもおすすめできる魅力がぎっしり詰まっています。次に犬山城へ行くときには、今回の内容を頭に入れて歩いてみてください。きっと景色の見え方が変わるはずです。
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